2026年6月29日月曜日

越後北蒲原に大地震があったのか?

「八幡宮由緒」に「・・・下って寛治六年の夏、越後に大津波の襲来があり・・・」との記載があり、明治10年12月に作成された「越後国蒲原郡宮内村誌」にも「寛治六年甲申ノ海嘯に一変・・・」とあります。
また、紫雲寺新田由来記には「七十三代堀川院、寛治六年戊辰、大津波大地震、蒲原、岩船陸地となる」(大木金平、『郷土史概論』、1921年発行による)
 大木はこの記述とこの地方で発見される埋没樹を津波と関連づけて論じています。胎内川や加治川の切り落とし(分水)工事の際に発見された埋没樹の多くが根つきで大量に発見され、同方向(根を東に)に向いているのは津波による可能性がある、というものです。
 このことから私は寛治六年に大地震があり、その影響で大津波が来たのだと思っていたのですが、ただ海抜も高く海から離れている宮内まで津波が来るものだろうかと疑問に思っていたところもありました。
 最近の研究から地震津波ではなく大型台風による高波・高潮である可能性が極めて高いと結論づけられているそうです。大雨による水害や土砂災害(山津波)だったかもしれません。
 地震によるものではなかったとしても地形が一変するような大災害があったことは事実のようなので八幡宮由緒も宮内村誌もいずれも正しいと言えそうです。

【参考:google AIより】
 寛治6年(1092年)の越後国(現在の新潟県)の災害は、従来「巨大地震による津波」とされてきましたが、最新の研究では台風などの巨大な気象災害(大風による高波・高潮)であった可能性が高いと指摘されています。
 歴史的な記録や最新の研究による主なポイントは以下の通りです。
 従来の解釈(津波説):1092年9月13日(旧暦:寛治6年8月3日)に発生し、越後沿岸の寺泊から角田、古潟、砂山、飛山、榎嶋などの広い範囲で大波の被害が出たと伝えられています。沿岸の地形が大きく変わるほどの壊滅的な被害をもたらした「大津波」として語り継がれてきました。
 最新の学説(高波・高潮説):東京大学地震研究所などの最新の研究(2023年発表)によると、当時の記録を詳細に調査した結果、地震の揺れを示す記述がないこと、また伊勢神宮など全国的な被害を及ぼした記録と一致することから、地震津波ではなく大型台風による高波・高潮である可能性が極めて高いと結論づけられています。
 日本海側の歴史災害として知られる事象ですが、現代の自然科学的な検証によって災害の発生メカニズムが大きく見直されている興味深い事例です。

2026年6月28日日曜日

八幡宮の宝物「獅子頭」

八幡宮の宝物の一つに「獅子頭」があります。
昔、次第浜に流れ着いたものを八幡宮に奉納されたものと言われています。
この獅子頭について、古老が残した話が残っていますので掲載しておきます。
なお、2026年06月現在は、毎年6月の第一日曜日に例祭とともに「神楽祭」も行っています。

【参考】
新発田市には、享保年間から城下町で受け継がれてきた伝統的な獅子舞・神楽が数多く残り、市の無形民俗文化財に指定されています。
代表的なものとして「職人町獅子舞」や「五ヶ字神楽」、「下小中山獅子舞」があり、毎年8月の「城下町新発田まつり」などで勇壮な舞が奉納されます。


①年代は定かではありませんが次第浜の海面に漂い打ち上げられたのを、当時、八幡宮の神主が次第浜のお宮の宮司も受け持っていたので、八幡宮に奉納されたものだとのことです。
(能登半島方面から流れてきたと考えられています)
 その後、よく次第浜の祭祀に貸し出されていました。
 ある時、いくら催促してもなかなか返してくれなかったことがあったのですが、朝になると獅子頭が一人で飛んできて八幡様のひときわ高い松の木の頂上にとまっていたそうです。
 このようなことが度々あったと言います。
 また、家の床の間に飾っておいたところ、夜中に「ガタガタ」と歯ぎしりをしたり、欠伸をしたりするので、お宮に安置することにしたと言います。
 それから誰いうとなく「生きかぐら」と称したとのことです。
 今は年老いてきたので度々修理を施して大切にしています。
 現在、4月の初めの日曜日に村の若い衆により神社でご祈祷をし、祝の酒を呑んで太鼓を打ち鳴らし御幣をかざして各戸の家族の頭に獅子頭を頂かせ、御神酒をさし、ひとくさり舞を行い、祝儀を頂戴して、上、中、下通りと三箇所に宿を取り、村外れに御幣を立て、全ての悪魔祓い行事を終わります。

 
②「あばれ神楽祭」は、毎年4月19日に行われていましたが、ここ3年前から4月の第1日曜日に行うことになったもので、家内安全、無病息災、村の平穏を願って、八幡様の 宝物として安置している獅子頭を青年部の人々が被って村中を廻る祭行事です。
 この獅子頭は年代は定かではありませんが、江戸時代に次第浜の海面に漂い着いたのを当時次第浜の神社の宮司の本務社である八幡宮に奉納されたものだそうです。
 黒塗りで縦八寸、横一尺三寸五分くらいの唐木造りで、これは同じ造りのものが能登半島にあり、その方面のものではないかと言われています。
 塩に洗われ遠く漂ってきたのに、歯の部分、耳の部分など多少補修をしてありますが、年を経たにもかかわらず丈夫なものであります。
 今は東港の関係もあり物は流れ着かぬとか。
 よく次第浜のお祭りに借りられていったものですが、ある時、催促してもなかなか返してもらえないことがあり、古老の話では、或朝、八幡宮に行くと入口の大きな一本の松(現在は台風のためなくなっています。)の頂上に一人で飛んできてかかっていたと言います。
 又、家の床の間に飾っておいた処、夜中に「ガタガタ」と歯ぎしりをしたり、欠伸をしたり、あばれて仕方がないのでお宮に安置したと言います。
 それ以来、誰いうとなく「生きかぐら」「あばれかぐら」と称したそうです。
 お祭りの内容は、当日村の氏子、若者たちが大勢八幡宮に集まり、神主のご祈祷を受けた後、御神酒を頂いて元気をつけた若者で代表者を立て、その指揮のもと太鼓を打ち鳴らし、御幣をかざし、頭部を被るもの、後ろの幕を持つものの二人一組で村中を廻り、家に入る時、地をすり歩くような格好で玄関から「悪魔祓い、悪魔祓い」と言って入ってきて、御神酒を家人に頂かせながら家族一人一人に獅子頭を頂かせ、ひとくさり暴れ舞って祝儀を頂戴して上、中、下と三箇所に宿を取り休憩しながら廻ります。
 最近、当村に仲間入りした自衛隊官舎、村の上、下のはずれとそれぞれ五箇所に御幣を立て、最後に獅子頭を八幡宮に安置し、集落開発センターで労をねぎらい、直会を行ってお祝いをします。
 お陰で村内は比較的に健康で八十歳を超すものが多く感謝し喜んで行事に協力を惜しみません。

③  「宮内の生き神楽」  西宮内 樋口日出男氏の原文より
 形状は縦八寸横一尺三寸五分、唐木造りである。
 八幡宮の宝物の中に獅子頭があり、年代は不詳であるが、次第浜の海面に漂い打ち上げられたものを奉納したと言われている。
 よく次第浜のお祭りに借りにきたが、或る時催促してもなかなか返さなかったことがあり、古老の話では、或朝、お宮に行ってみると、ひときわ高い松の木の頂上に飛んできてとまっていたという。
 また、家の床の間に飾って置いたところ、夜中に「ガタガタ」と歯ぎしりをしたり、欠伸をしたり、暴れて仕方がないので、お宮に安置したという。
 それから誰いうとなく、「生きかぐら」と称した。
 今は年老いて、度毎修理を施してはいるが、保存が難しい。
 以前は4月19日に部落の若い衆により神社でご祈祷をした後、太鼓を打ち鳴らし御幣をかざし、御神酒を各戸にかざし悪魔祓いと獅子頭を頂かせ、ひとさし暴れ舞う事として居た。
 今年よりは4月19日午後1時より八幡宮に安置し、皆でご参拝後、ひとさし舞うこととした。(破損を防ぎ保存するする事にした。)
 今、獅子頭をかぶり舞う人は十人余りであるが、芸能的なものではなく、決まった形の舞でもないので、門外不出である。


2026年6月13日土曜日

昔の八幡宮例祭の様子

令和2年(2020年)頃から流行した新型コロナウィルスのために八幡宮の例祭も縮小して執り行われることになりましたが、それまでは神主さん3名で巫女さんが神楽を奉納したりと大規模に行っていたものでした。
(下記写真は平成25年(2013年)06月02日に撮影したものです。)

昭和30年(1955年)頃は八幡宮は佐々木村の村社だったのでお参りする人も当村だけでなく周辺の村々から大勢来たものでした。
「おもちゃ」や「綿あめ」などを売るお祭屋さん(露天)が数軒出て子供らも大勢集まって賑やかなものでした。
(佐々木村は昭和34年(1959年))4月10日に新発田市へ編入合併しました。)
                     <八幡宮 氏子総代>

2026年6月8日月曜日

「西宮内・八幡宮のブログ」について

このブログは2026年(令和 8年) 6月 8日より作成を開始しました。
近隣の方から「八幡宮のいわれが分からない」との声があり「西宮内・八幡宮」の由緒や言い伝えなどをおいおいご紹介していくことにいたしました。
八幡宮の詳細についてはホームページを作成しましたのでそちらをご覧ください。
  ⇒ 西宮内・八幡宮ホームページ
古い資料を確認しながらの作業になりますので投稿はゆっくりになりますがご容赦下さい。
それではスタート!
                 西宮内・八幡宮 氏子総代

2020年11月7日土曜日

八幡宮の電灯の件

令和02年(2020年)11月頃、八幡宮境内の杉の木を伐採したときに誤って電灯用の引き込み電線を切ってしまいました。
電線の修復を検討しましたが費用が高額となるし、電灯を使用するのは年に1回のお祭りの時だけだということで、修復はせずポータブル電源を購入することにしました。

        【引込線の電柱】
        【ポータブル電源】

                <八幡宮 氏子総代>